哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

「家族だから」をイイワケにしない

f:id:vumi:20210110020228j:plain

家族といえど別の人間!

自分の人生とは分けて考えよ!

 

「家族の形」と一言で言っても、その形状は千差万別で、

各々に理想があったとしても、どれが正解、というものがない。

それは個々の人生にも言える事で、正解の分からぬままに進むわけだから、

人によってはそれを苦痛や不安に感じる事もあるだろう。

 

教科書通りの計算式とは違い、理想に近づけようとするあまり、

自分に負担を掛け過ぎてしまい、自重で潰れてしまうこともある。

努力をすること自体は間違いではないのだが、

理想通り「でなければならぬ」と思ってしまうと、間違いが始まる。

 

しばらく人生を生きてみると、次第に見えてくるのは、

「万能と思っていた親の無能さ」「大人のふがいなさ」であろう。

そしてその思いは、やがて自分へも向けられてくる。

大人だと、立派だと思っていたものに近づいてみると、

みんな努力をして体裁を保っていたり、見栄を張っているだけだったりする。

 

そんな大人たちが作り上げた組織の最小単位が、家族だ。

それぞれの思いが元になって一緒にいるとはいえ、

子供も含め、最終的には「自分とは異なる存在」だ。

それを「家族だから」という理由で必要以上にかばってしまうと、

自分への負担というものは、他人にしたそれと同等以上の負荷になってくる。

 

家族だから一緒に居なくてはいけない。

子供は親に従わなくてはいけない。

家族とのつながりを他より一段高く置いておく・・・

 

そんな「家族だから」という程度の理由では、人間関係は安定はしない。

なぜなら家族といえど一個の「人間」の集団であり、

人間は個々に異なる性質を持つ存在だからである。

異なる性質を持ちながらも共に在ろうとするのであれば、

「家族だから」という言葉はイイワケにしかならないのである。

 

家族だから一緒にいるのではなく、共に在りたいから家族である、

という気持ちが無ければ、いずれどこかでその家庭は崩壊するだろう。

家族だから仕方なく養ってやるとか、

家族だから仕方なく面倒を見てやるとか、

そういった感情が芽生えた時点で、人間関係の破綻は始まっているのである。

 

恩返しをしたいと思われるような大人になること。

昨今の人々からは、その思いが抜けてきているように思えてならない。

家族だから老後の面倒を見なければとか、

家族だからニートを養っていかねばならないとか、

「家族だから」というイイワケバリアを作る事で、

自分が優遇される状況を作り出してはいないだろうか?

 

老後の面倒を見てほしければ、そうされるだけの事をしてあげなければならない。

これまで自分がそういった事をしてこなかった人は、

いざという時は孤独死すらも想定して生きていかねばならない。

 

また、介護したりする側の人々も、「家族だから」と思ってはいけない。

ロクでもないヤツであれば、ぽんと放り出してしまえば良いのだ。

それを「家族だから」とニートさせたり放置したりするから、

結局自分たちが食いつぶされて、幸せな結末へは至れまい。

 

「家族だから」という言葉を捨て、相手を一人の人間として見る事で、

その相手に対する正しい評価、正しい対応は見えてくるはずだ。

それはもちろん、自分自身にも言える事である。

 

私は親族だからという理由で、姪や甥達に好かれたいとは思わない。

私という一人の人間として接し、彼女らを大切にし、真摯に向き合う事で、

一人の人間として、大人として、認知されたいと思っている。

 

だからこそ、自分の本心から「大好き」とも言えるし、

これまでの経歴でたった一度でも、彼女らを「嫌い」と言った事もないと、

自信を持って言えるし、また幸いなことに、彼女らもとても良い子に育っている。

今でも懐いてくれているのは、ひとえに、自分がこの「家族だから」という

理由に甘えず、一人の人間として接してきたからだと思っている。

 

結果、あの子達が将来、自分に対してどんな思いを持ってくれるかは分からない。

しかし、それがどんな形であれ受け入れる事が、自分の人生に対する責任だ。

願わくば、あの子らに子供ができた時、自分がされていた事を思い出して、

愛情をもって接する事の出来る大人になってくれれば、これ以上のことはない。