哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

ヒトよ、タダの動物であれ

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特別なモノなど存在しない

「特別」という価値観を持つのは危険!

人間の為に存在するモノなど一つもない!

 

端的に、人間という動物は雑食性であり、草食でも肉食でもない。

言ってみれば、草も肉も食わねば生きていけない動物なのだ。

牛が草を食べないとか、ライオンが肉を食わないとか、

そんな不自然な事をするのは人間位のものである。

 

技術の発展と共に管理できる要素が増え、結果として生活に余裕が生まれた。

私はその「余裕」にこそ、深い落とし穴が潜んでいるような気がしてならない。

ゆとりを生んだ自分に対し、自己評価が上がるのは当然だ。

しかし、評価と共に「存在価値」までも上げてしまうと、これが大問題だ。

 

モノの存在価値には、そもそも上下も優先順位もありはしない。

その時々の人々の価値観で勝手に順番が決められているだけで、

本質的な存在自体の差異など、一体誰に決められるというのだろうか?

 

しかし唯一、その存在を特別たらしめるモノが、人の中には存在する。

「神」と呼称されるモノが、人やその他に存在価値を定義する事ができる。

人知を超えた、とても優秀で、崇めるべき存在。そんな神の創造こそが、

人は動物であるという事を忘れさせてしまった原因だ。

 

神の存在については別に語るとして、

只の動物でしかない人間が、体の作りを否定した生き方をすることが、

果たして「自然な生き方」なのだろうか?

 

不自然な生き方をしたツケは、必ず体に返ってくる。

過剰に食べ過ぎたり、偏った食生活の弊害は、言わずもがなである。

動物が動物を食する事が悪であるはずがない。

そこに善悪を持ち込んでいるのは人間の仕業なのだ。

 

同様の問題として、昨今の性別問題も似たようなものだと思われる。

そもそも、男性とは何か、女性とは何かを論じている時点で、

その人の中にある男性と女性の性的役割という存在が、

意識の有無を問わず決まっている、という事ではないか。

 

「自分の心は男だ」という、女性の肉体を持つ人がいたとして、その人の中には、

「男とはこういうもの。だからこういう考え方をする自分は男に違いない」

という認識があるはずだ。

さもなければ、自分が男だと定義する事ができないからである。

 

それは同時に、男性の定義、女性の定義を固定する思想でもある。

おかしな話ではないか。

固定観念を打ち砕こうとする本人達が固定した思想の持ち主というワケだ。

この一面的な見方だけの性同一性などという問題提起について、

私は「ハナから存在しない問題」であり、

「自分の存在を承認できない」事が本当の問題点だと思っている。

 

同性が好きでも異性が好きでも構わないのだ。

動物を食べてもいい。草も食えばいい。

タダの動物はそんな事で苦しんだりはしない。

肉体に従って食べ、愛し合うだけのことだ。

その存在をそのまま受け入れる事が、

最大の幸福につながるのではないか。

 

人間は特別な存在などではない。特別である必要もない。

他の命を得る事でしか、地球生命は生きられないだけなのだ。

そんなくだらない事を問題にするな。

自分が何者であるか迷ったならば、

「タダの人間という動物」だと思えばいい。

 

人間を特別視しない事で解決する問題はかなり多いと思うのだが、どうだろうか?