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幸せになりたくない人などいない

賞味期限切れの食材は捨てる

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賞味期限切れの食材は捨てる

賞味期限の切れた食材は捨てる。

だがそれは食材への否定ではない。

 

賞味期限について、特に日本ではかなり厳しく設定がなされていて、

賞味期限、消費期限など、微妙な期限設定なども求められている。

賞味期限が切れたからといって食べられないかといえばそうでもなく、

賞味期限(何度枕詞にするんだコレ)を過ぎた商品を廃棄する事については、

様々な意見が日々、飛び交っている。

 

先に断らなくてはいけないのが、自分は非常に腹が弱いという点だ。

冷たいもので腹を壊し、辛い物で腹を壊し、牛乳で腹を壊し、

野菜ジュースで腹を壊し、最近は脂っこいものでも壊すようになってきた。

かなりマトモな食生活をしないとすぐに腹痛が襲ってくるので、

どうしてもという時は「食べない」を選択するしか無い人間だ。

 

そういった人間であるから、賞味期限というものを一つの基準として、

食材の可否を判断するのに用いている。

確かに、まだ大丈夫そうなそれを捨てる事には問題があるだろうが、

ここで問題の切り分けを行わないと、論争が起きる。

例を挙げると、以下のようになる。

 

・「もったいないから」という視点から廃棄を許さない者

・食材になった生命をムダにするのかという生命倫理から反論する者

・賞味期限の規定について独自の解釈、または疑問を持っている者

 

こういった視点を複合したものを以って、大体否定してくだろう。

いずれも一理あるのだが、私の信念にこういったものがある。

「一理が九理を否定するものではいけない」

一理ある、という言葉には、「それはそうだ。それども」という否定の意もある。

 

今回の賞味期限についても同様で、それぞれの理を告げられたとしても、

大抵はこの一言でケリがつく。

「それで腹を壊したら、貴方が私を代行できるのか?」

相手は言うだろう。

それは運が悪かった。自己責任だ。個人の理屈は関係ない、などなど…

結局、その人々は否定する事に責任は持てない、という事だ。

 

対して、賞味期限を制定している人々はどうだろうか?

その期日に責任を持ち、期限を設定しているのではないか。

どちらの意見を尊重するかと言われれば、後者に決まっている。

 

そうは言っても、廃棄する事への無念はあるのだ。

誰も、無駄にしようと思って商品を買ったのではない。

自分の健康や仕事と、食材を摂る事のリスクを比較して答えを出しているのだ。

それが及ばなかったのは自分の管理能力の無さだ。

そこは責められても仕方ない問題なので、ごめんなさいと言おう。

 

しかし、そこまでだ。

それ以上を責めるのであれば、責める方にも責任が生じる。

その責任を負う覚悟が無いのであれば、必要以上にこの問題を責めてはいけない。

食材の関係者であったとしても同様だ。

商品として流通させた以上、無責任な事をしてはいけない。

 

同時に、「買ったものはどうしようと勝手だ」等という、

間違った考えを持つ事にも注意しなければならない。

食材となった生命があり、生産者、流通、販売の人々の手を煩わせて、

自分の手元に届いたものなのだ。

そこに対する感謝を忘れてはいけない。

 

そういった感謝の表現として「いただきます」という言葉がある。

食材となった生命と、手元にくるまでの過程に感謝をする言葉だ。

そういった意味を込めて、呟くのが良い。

そうして呟くからこそ、「いただきます」に意味が出てくる。

 

そして、そうする事ができなかった食材に対しては、謝罪して廃棄させてもらう。

その心掛けがなければ、無駄金を使っただけの外道になってしまう。

せめて、買い物下手で自己管理のできないヤツ、程度ではありたい。

 

賞味期限の論争はまだまだ続いていくかと思うが、

自分の中では既に答えが出ているので、ここで終わりたいと思う。

貴方はどう、考えるだろうか?