哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

「やらなきゃ、なのにできない」の正体はオバケ

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動けない人はオバケが怖い

必要な時に動けないのはオバケが怖いから!

オバケの正体をじっくり見極めろ!

 

ここでいうオバケとは「具体的でないもの」を指す。

人が動けなくなる時は、大抵、恐怖を感じている時だ。

恐怖とは、未知であり、不透明で、先が見えない事の総称だ。

そういったものを目の前に出された時、人の歩みは止まり、動けなくなってしまう。

 

また、人には「今の状況を維持したい」という欲がある。

今がダメだと思っていても、変化という恐怖と比較して、安定を求めるのだ。

ニートが社会復帰したがらないのも、DVから抜け出せないのも、

根っこを正せば、この恐怖に怯え、動けなくなっているからに他ならない。

 

変化とは恐ろしい。

恐怖とは、未知から自分を守るための防衛本能だ。

自分の身を守るための本能なのだから、それ自身を変える事は困難だ。

心臓が勝手に動くように、自分の体は自分の意志のものではない。

自分の意志とは別の所で、人の体は動くようになっている。

 

だが、そんな借り物の肉体を動かさなければ、生物は生きていけない。

恐怖を乗り越えていかなければ、部屋から一歩も出ることはできない。

今回は、そんな恐怖の乗り越え方についてを解説していきたい。

 

冒頭で、オバケの正体について見極める必要がある。

オバケとは未知の存在であり、まさに恐怖が具現化したものだ。

しかし、それを克服する方法は、多くの人がこの言葉で知っている。

幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

幽霊かと怖がっていたが、正体を確かめると、枯れたススキだったという話だ。

逆に言うと、人の想像力は只のススキでさえも恐怖にしてしまうという事でもある。

 

ここから分かる事は、想像や思考では恐怖は克服できない。

現物を確かめる事で、恐怖は克服できる可能性がある、という事だ。

あくまで可能性、と書いたのは、ホントにオバケという可能性もあるからだ。

 

情報化社会とも言われる現代、人の一生では受けきれない程の情報が流れている。

そんな多数の情報を受ける中で、人は想像を巡らせる。

例えば、男女の付き合いから結婚の不満まで、探せば幾らでも出てくるだろう。

男はこうだ、女はこうだ、呼び方がどうだこうだ――

そういった情報を受けた人は想像し、未知のものには恐怖する。

アレはこういうものらしいぞ、と。

 

もちろん、「日本の男は皆スカートで通勤している」というような、

自分の人生経験に存在していない情報ならば一瞥して終わりだろう。

だが、自分の中で思い当たるフシがあると、人は過剰に反応する。

「女は目的のない無駄話ばかりをしている」

「男の頭はいつまでも子供のままだ」

そういった意見を正しいという人もいれば、正しくないという人もいる。

それが必要だという人もいれば、それは排除すべきという人もいる。

人はそれらの情報を吸収し、想像し、想定する。

自分のとって未知のそれに恐怖し、距離を置こうとする。

そんな人々の中では、世界はオバケに満ち満ちているのだ。

 

とはいえ、そんなオバケだらけでも出ていかねばならない事がある。

そういった状況と対峙した時、まず、体が動かなくなる。

体が止まってしまったら、落ち着いて、事態を分解していく事が必要だ。

オバケは掴みどころがなく、存在も不確かだ。

そんなオバケを細かく分解し、少しずつ理解していく事が攻略のカギになる。

 

例えば、職場の不安で動けなくなったとしよう。

その「不安」こそがオバケの名前だ。

だが、「不安」とは具体的に何なのか?

ノートにでも箇条書きに書き出してくといいのだが?

心が弱っていると、ここでまず挫折する。

「分からない、考えたくない、理解したくない」と。

 

本来、こういう時に信頼できる人や構ってくれる近所のオバサン等が適任なのだが、

現代ではそういった人物の調達は難しく、その代替として心療内科や精神科がある。

自分や友人の声は届かないが、医者という「権威」の声なら聞こえるという人は、

そういった所で、この分解工程を手伝ってもらうのがいいだろう。

「不安」の正体を探したい、といえば、喜んで協力してくれるはずだ。

 

「不安」を分解していくと、徐々にその姿が見えてくるだろう。

困難に対する不快感、否定される事への恐怖、自分に要求される負担――

そういったものが見えてきたら、それを今度は分類していく。

自分が操作可能な問題か、操作不可能な問題かだ。

 

操作不可能なのは「課題の消失」「課題の変質」だろう。

仕事の場合、課題そのものが消えたり、課題自体が変わる事は少ない。

英語を覚えるのが苦痛でも、英語は消えないし、一部が日本語になったりはしない。

 

対して、操作可能なのは「課題を誰かに負担してもらう」事や「課題の回避」だろう。

英語を覚えられなければ、英語の得意な誰かにやってもらったり、

英語を必要とする部署や職場から離れてしまう、という方法だ。

 

同様に、否定される事への恐怖感があるのなら、否定される内容を具体的にしよう。

よくある「やる気がないなら辞めろよ!」という否定で考えてみよう。

操作不可能なのは「自分の気持ちの変容」「暴言を吐く人」だ。

上でも書いた通り、人の体は自分の意志で100%どうこうできるものではない。

まして他人のそれであれば、変えようと思う方が無謀だ。

 

対して、操作可能なのは「仕事への興味」「職場の変更」だ。

かつて、自分も仕事の態度について同じように言われたことがあった。

その時、この仕事の事を自分は本当に好きでやっているのか?

自分に問うた所、「いや、別に好きじゃないな」と帰ってきた。

更にこの仕事を続ける意味や、同調する事の是非を問うてみたら、全て否だった。

結果、その日の出先から戻った足で、そのまま退職を願い出た。

「やる気が無いんで辞めさせてもらいます」と。

自分に操作可能な部分だけを煮詰めた結果、問題は簡単に解決したのだ。

 

こうして書き出してみると、解決の糸口も見えてくる。

つまり、恐怖と対峙した時、操作不可能な部分についてはどうしようもないので、

操作不可能な部分で悩む必要は無いという事だ。

操作可能な部分を洗い出し、そこに対処のキッカケを見つければ良いのだ。

 

以前、こんな事を言われたことがある。

「ここで逃げていたら、一生逃げ続けの人生になるぞ!」

これを聞いて、自分は

「そんなお前の言葉を否定してやる!」

という思いで懸命に生きてきた部分もあるが、まぁ、そんな対処法もある。

 

他方、少し考えてみれば分かる事だが、

その人にとって他人である自分の一生は関係ないのだ。

一生逃げ続けようが戦い続けようが、その人には関係ない。

大事なのは、自分がどう生きたいかというだけの話だ。

逃げようが避け続けようが、それはひとつの手段でしかない。

逃げるしかないなら逃げればいい。

恥だの外聞だのは知識が後付けした枷に過ぎない。

大事なのはその後、自分がどう幸せになるかだ。

 

レベル1でクリアできるゲームなどそうそうありはしない。

恋愛でも、仕事でも、勝てる所から攻めていくしかないのだ。

恐怖を分解し、

操作可能な部分を洗い出し、

手段を探る。

その上で、レベル1から勝ちにいけばいい。

 

そんなチンタラやってられないという意見もあろうが、

一足飛びにハードルを越えようとする方が、どうしようもなくギャンブルだ。

 

今回はここまで。

オバケの倒し方がメインなので、恐怖を乗り越えた後の、

歩き出す力の入れ方については、また別の機会で書いていこうと思う。