哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

2,000円で変わる人生もある

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2,000円で変わる人生もある

お金を数える人生になるな!

お金なんて大嫌いだ!!

 

その日、中学に入って最初のゴールデンウィークで、

私は祖母のいる田舎に遊びに来ていた。少し暑かったように思う。

小遣いをもらった私は、年の近い親戚の子と、

遠縁の小学校低学年くらいの子と三人で遊びに出かけた。

その帰り道だった。

 

突然、三人組の高校生くらいの少年達に立ちはだかられた。

「急いでますんで」と通り過ぎようとした私は、

次の瞬間には顔を殴られて道に転がっていた。

何のひねりもない、ただのカツアゲだった。

路地裏に連れ込まれ、グダグダとそいつらが話している間、

年の近い子は気を利かせて高校生の話についていこうとしていたが、

私は怒りと無力感とでぴくりとも動けず、小突かれた位しか覚えていない。

最終的に、私は持っていた2,000円を取られた。

100円使うにも躊躇していた頃の事である。

 

情けない話だが、何もできなかった。

ただ、私にとってそこは地元ではなかったが、もう一人は違った。

その後も、その高校生が中学に現れるなど、面倒事はしばらく続いたらしい。

その年近い親戚の子からも、電話越しに恨み言を言われたりもした。

元々大人しかった自分は更に無口になっていった。

弱い自分がどうしても許せなかったのだ。

年下の子も守れず、大金を取られ、何もできなかった自分を恥じた。

そこで思い至った内のひとつが「お金なんて大嫌い」だった。

 

あんな紙切れ2枚の為に、なぜこんなにも不幸にならねばいけないのか?

この紙切れのせいで、自分は殴られ、屈辱を味わうハメになったのか?

考えれば考えるほど、本当にお金というものが憎くて仕方なかった。

そういった感情の根は深く、四半世紀経った今でも、その色は残っている。

しかし、そのお陰というべきか、お金の本質に近づけたとも言える。

 

『お金持ちになりたい』というのは大半の人が持っている欲求だが、

まず、この間違いに気付いた。

 

お金が欲しい理由は様々あるが、大半は「何かに使うため」のはずだ。

買い物、投資、老後の生活ーーお金の用途というのは凄まじく広く、

通貨の違いはあれど、お金を使えば世界中、大体の事ができてしまう。

また、「お金を貯めるのが楽しい」という人も、少数存在する。

特に、自分が能動的に経営する立場になると分かるのだが、

仕事の結果が銀行口座に現れ、それで残高グラフを作り、それを眺める瞬間は、

自己肯定感や達成感、安心感など、色んな感情をを満たしてくれる。

 

いずれも、お金持ちになればなるほど、選択の幅も質も上がるだろう。

しかし、これがイコールで『幸福な人生』につながるかといえば、

それはあながちそうでもない。

お金は得る手段であり、得たい物とは異なるからだ。

 

人は、紙幣を食べて生きるわけではない。

紙幣と食事を交換して、そこで初めて食欲を満たし、味に感動しうるのだ。

お金持ちになりたいと思う人は、まず自分自身に問うてみる必要がある。

自分はお金を使って何をしたいのか?

ということだ。

 

旅行に行く、美味しい物を食べる、いいパートナーを見つけるーー

貴方がお金を使いたい『モノ』が、必ずあるはずだ。

ならば、今の状況で叶えられる『モノ』を得る方が、幸福に近づけるはずだ。

 

一人暮らしを始めた直後の私は周囲とほぼ音信不通状態だったので、

来月の家賃を払う貯金もなく、アルバイトすらしていない状態だった。

全ての手持ちを集めても、5万円ちょっとしか無かった。

そこから月収=生活費、貯金無しという日々が長く続いた。

お金は確かに無かったが、その頃が不幸だったかといえばそうでもない。

ド〇キで買った5kg1,000円のニワトリ米に四苦八苦したり、

毎日のように食器を汚してくるGとの死闘を演じてみたり、

冷凍ブラジル産鶏むね肉2kg1,000円の肉塊に命の価値を考えさせられたり。

 

そんな、全ての値札が「食費何日分」に見えてしまう程の生活費しか無く、

 100円ローソンに通い、定食屋でごはん大盛のみ(七味とお茶で味付け)とか、

ロクでもない食生活を送る一方で、実は食道楽の癖があった。

月に一度、チェーンのフグ料理屋で一番安いセットを食べたり、

下戸なのに旨い梅酒を見つけて、一升瓶で買ってしまったりしていた。

毎月1円の貯金もできない生活でも、楽しむ方法がある。

その体験と確信は、『金持ち=幸せ』の感覚をひとつ、ひっくり返した。

 

また、金持ちになる為の手段というのが厄介だと気付いた。

仕事をして偉くなるという方法だと、自分の肩書と共に、

仕事の負荷、責任の大きさも比例して上がってくる。

これではお金があっても、仕事やストレスでお金を使うヒマが無くなる。

 

誰かを騙したり、不幸にして稼ぐのも論外だ。

そうして得た金は、得てして幸せには使えないものだ。

僅かな罪悪感を消すために浪費された金では、一時的な快楽しか得られない。

 

このように、お金持ちになるハードルは高く、維持するのも困難だ。

現状を維持するために金を使うようになるから、自らの幸せにはつながらない。

 

まず、自分の幸せの在処を明確にする事。

次に、現状でできる範囲を考えてみる事。

そして、それに対してお金を使っていく事。

 

この流れができると、お金の使い方は格段に上手くなるはずだ。

お金がいくらあっても、墓に入ったら使う事はできない。

お金とは使用期限のある交換手段でしかない。

しかも、明日、いや10分後にはもう、使えなくなっているかもしれない代物だ。

そんなモノをせっせと貯めこみ、積み上げた達成感に浸っても意味が無い。

お金なんてとっとと使って、残さない位で丁度いいのだ。

 

お金は貯め込んでる時よりも、もらった時よりも、

使った時の方が気分がいい。

しかしそれは「お金なんか大嫌い」という感情に由来しているのかもしれない。

だから一般的とは言わないけれど、手放した時の方が嬉しく思う。

とはいえ、これが無いと生活が大変なのも知っているから、

今後もうまく付き合っていかなければならない。

 

たった2,000円のせいで、自分の考え方もその後も、大きく変わってしまった。

今回はお金の面にだけ触れたが、今後は人生面の方に触れる機会もあるだろう。

2,000円程度で変わる人生だ。

私は今後の楽しみ方も、安くアガると信じて疑っていない。

 

個人的には、お金が十分にある女性に養ってもらいたい所なのだが