哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

人は人に出会い、初めて人になる

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今週のお題

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

たまにはライトな話題でもと思ったので、寝る前にちょこっと書いてみようかと。

大人になる、という状況について、やたら完璧な人間を想像したり、

諦観の中に他者との距離感を見つける等の意見はあると思う。

 

決して間違いではないと思うが、自分にはもう少し別の考え方がある。

フリーター時代、それまでの年功序列の考え方は砂の城のようにあっけなく崩れた。

当時大学を卒業したばかりの自分の前には、同じアルバイトとして色んな人がいた。

自分の倍も生きていたり、過去の名声や自信を吹聴したり――様々だ。

 

そこには、大きな子供がいるのみだった。

人は、時間を経るだけでは大人にはなれないのだと知った。

 

大人への過剰な期待や信頼、憧れもあったとは思う。

しかしその後、成人も社会人も老人も関係なく、ダメな人はダメだった。

60歳を超えてなお、20代の良い大学出身という思い出や、

高名な人や有名人と知り合いという装飾品でしか自分を語れない人もいた。

 

自分はそうはなりたくない。

自分の尊敬できない人間にはなりたくない。

 

きっとこの辺りの感情が、大人という概念に首を傾げ続けている。

その内、誰にどう思われても構わないと思い始めた。

男に思われようが、オバサンぽいと言われようが、

結局のところ、今の自分こそが自分。それでしかない。

 

ただ、自分以外の視線を気にする相手がいる。

姪っ子と甥っ子だ。

彼女らから尊敬されない自分には、やはりなりたくない。

自分には子供がいないが、この子達は生まれた直後から知っている。

オムツを変え、ミルクを作って飲ませ、夜泣きで疲弊させられた子達だ。

この子達のお陰で、自分はまだ生きていると言っても過言ではない。

実際、この子達以上に未練のある相手はいないからだ。

 

今回のお題を読んで、ふと、思い出したのは、昔に聞いたとある歌詞だった。

タイトルにあるその言葉は、まさにこの子達との関係を指している。

この子達がいるから、自分は大人であろうとしている。

 

自分にとっての大人とは、あの子達との関係性を表す言葉だ。

仕事上の関係でも、「もう少し大人の対応をしたら?」と助言をもらう事がある。

しかしそれはできない相談だ。そこで折れたら、今後も折れ続ける事になる。

不満が溜まればロクな事にはならない。

ちゃんとした仕事をする為に『あえて大人にならない対応』も重要だと思っている。

 

大人とは諦観であっては困る。そんなものに、自分はなりたくない。

大人とは、単に枯れて朽ちる事であっては困る。

そんなものなら、自分は死ぬまで只の人間と呼んでもらって構わない。