哲分が足りない!

哲分が足りない!

幸せになりたくない人などいない

性別の在処

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性別の在処

性別問題の大半は思い込み!

今一度、自分の胸に問うてみよ!

 

なるべく結論から述べるようにしているが、

今回のお題は特に誤解を受けやすいかもしれない。

なので、最初に一番大事な事を断っておくので、

これが理解できない方は、以下を読んでも恐らく理解できまいと思う。

 

誤解を恐れずに言えば、

性別判断は肉体的なものを基準とするべきで、

精神的なものは自他による「性認識」でしかない

という事だ。

 

当然、昨今は性自認で多くの問題が起きている事は知っているし、

自分が脳やホルモンについて専門的な知識が無い事は承知している。

その上で、上記のように言わねば「理屈が通らない」からこそ、

このように述べた。

 

順番に、その根拠を述べていこうと思う。

まず、「心の性別」とはなんぞやという事だ。

身体は男性、心は女性、もしくはその逆等という話があるが、

その心の性別を判断する基準が何か、という疑問がある。

 

「こういう考え方をするから男性(女性)だ」というのであれば、

それは「そういう考え方をするのが男性(女性)」という認識があるからだ。

男性らしさ、女性らしさという概念は、

生まれ育った環境で育まれる「知識」の形でしかない。

 

男性が好きだから女性の心だというのであれば、それは既におかしい。

男性が好きな男性がいるのだから、それを指して女性というのであれば、

それは「男性が好きな男性を否定する」事になるではないか。

それこそ、根底に「異性を好きになるもの」という知識が根付いている証拠だ。

 

異性の方が気が合うし、話が合うから自分の性は体と違う、

というのも理屈として通らない。

同性であっても話が合わない事など多々あるにも関わらず、

「自分の性格、性質」の問題を「性自認」の問題にすり替えているのだ。

 

あえて古臭い言葉を使えば、

オカマが女性のように振舞うのは「自身の中の女性像」を表現しているだけで、

それはイコールで「女性」という事にはならないだろう。

心が女性なのではなく、心の中の理想の女性像に近づきたい、という思いだ。

理想の女性像への憧れを、自分の性別の是非と考える事が間違っている。

当然、逆もまた然り、という事は言うまでもない。

 

性自認が肉体と異なるという問題については、

それまでの人生経験で培われた「異性像」から基準が作られ、

また肉体と同性への「趣味の合わなさ」から始まった、

「性格の違い」を「自分の心は異性である」という突飛な理論で

片付けようとした結果である、と私は考えている。

 

私は当事者ではないが、自身の性別の在処などどうでも良い。

猫好き、犬好きがいるのと同様、異性、同性が好きな者がいて、

それ自体に特殊性も異物感も存在はしない。

あくまでその人自身の「個性、趣味」でしかないからだ。

「個性、趣味」であるからこそ、他人への認知の強要は良くない。

 

貴方がたの趣味趣向は尊重すべきではあるが、

それを生物としての構造としてまで優先する必要は無いと考える。

なので、当初に述べた「性別の判断は肉体を基準とするべき」というのは、

そういった理由からだ。

 

心が女性だから、男性だからと、生物的な仕組みまで変えてしまうという事は、

性差の無い世界が生まれるまでは、必ず問題が出てくるはずだ。

そして、性差の無い世界とは、男女共、性認識を意識しない世界のことだ。

それは、心が男性だ、女性だと言っている今とは真逆の世界だ。

「性別なんてどうでもいいでしょ。私はこう思う」

が普通でなければならないので、

今の人類の理解力では、あまりに遠い世界だといえよう。

 

身体と性自認が異なるという方は、是非早く目を覚まして欲しい。

貴方が声高に叫ぶほど、本来の「性差の無い世界」は遠ざかっていく。

貴方が叫ぶべきは「自分の心は身体と違うんだ!」ではなく、

「私はこれが好きで、これが嫌いなんだ!」という「自己主張」である。

 

違いを許容できる世界こそが、本来目指すべき未来なのである。

違いを強引に認めさせ、形を作り、異論を排除していては、

真に「違いを許容できる世界」はやってこない。

それは見た目上、形式上の異論をなくすだけで、心の内までは変わらない。

 

究極的には、自分以外は全て異物なのだ。

その異物を許容し、ある程度気の合う連中と共に在る事こそ、

人生を豊かにし、穏やかに過ごすことができるというものだ。

それ以外の人とムリにつながろうとしたり、認めさせようとするから、

苦しい状況が生まれてしまうのである。

性自認で苦しんでいる今の人々を苦しめているのは、

無理矢理世間に自分たちを認めさせようとする同類他ならない。

 

では何故、人々は声高に叫ぶのだろうか?

私にはそれは世間に対して「嫌わないで! 否定しないで!」という

悲痛な叫びにしか見て取れない。

それの何が問題かといえば、誰にも否定されない存在はいない

という生物多様性に不可欠な要素が根底にあるからだ。

 

否定されたくないから認めさせようとするのは間違いだ。

自分の中に、周囲の否定に自分が打ち勝てないという思いがあるからだろう。

周囲が否定してくると自分が揺らいでしまうから、集団で叫ぶのだ。

「自分を否定しない世の中になってくれ」と。

 

全てが理解しあえる世界、それは理想郷などでは決してない。

全てが自分と同じ世界など、地獄でもそんな薄気味悪い事はしない。

人は、他人との間に自分と異なる物を見出すから好きになるのだ。

他人と他人との間に、異なる物を見出すから特別に思えるのだ。

誰も特別にならない世界が素晴らしい世界だろうか?

全てが特別ではないという事は、貴方もまた、特別ではないのだ。

いてもいなくても同じ。代替はいくらでもいる。

そういう存在で満ち溢れる事が、理想郷であるハズがない。

しかし、今の人類はゆるりとその間違った理想郷へ進みだしている。

この過ちを認識しなければ、人は単細胞生物と同類になるだろう。

 

この問題を解決するには、順を追って認識を変容させていかねばならない。

 

1,性別の基準を肉体基準にすること

これによって、社会問題の大半は解決し、無駄な費用が消える。

 

2,性別の問題ではなく、自分の趣味趣向の問題と自認すること

性別が肉体と異なるのではなく、自分の趣味が周りと異なるだけなのだと考える事。

二次元が好きだというオタクは、自分の体が二次元で無い事を悲しみはするが、

「心は二次元にある! 二次元の存在を認めろ!」とは叫ばない。これと同様だ。

 

3,趣味趣向の話なのだから、受け入れられない人は必ずいること。そして受け入れられない人に、無理に認識を押し付けないこと

キモがられようが嫌われようが、それが自分の趣味なのだから仕方ない。

否定されることを恐れず、しかし恐れるような場では目立つ事はせず、

理解してくれる仲間内でのみ、十分に表現すればよい。

 

4,理解しあえぬ事を許容する事

最後になるが、これが最大のポイントでもある。

理解できないことは「理解できない事」として認識し、受容すること。

これをムリに理解しようとするから、無駄に苦しんでしまうのだ。

理解できなければそれで良い、という風潮を大事にしなければならぬ。

 

以上が、私の考える性自認についての考え方だ。

これについてはいくらでも反論、異論を待ちたいと思う。

しかし、異を唱える前にひとつだけ考えて欲しいのは、

「自分が男性(女性)と思っているのは、何が基準か?」

という点である。

この点を明確にせずにいては、話が先に進まないからだ。

 

おそらく、人類が上記の所まで認識を変容させる前に、

人は人としての形を失うのではないかと思ってもいる。

VR、ARといった技術の進歩によって、人は自分が思う姿になれるだろう。

結果として、自分の好きな時に性別や容姿を変えられるようになり、

性別という概念が無くなっていくだろう。

たどり着く先は結局「自分と相性の良い相手は誰か?」になる。

 

どちらの未来が先かは分からないが、

私自身の目でその世界が見られないであろう事は分かっているので、

それが少し、残念でもある。

「家族だから」をイイワケにしない

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家族といえど別の人間!

自分の人生とは分けて考えよ!

 

「家族の形」と一言で言っても、その形状は千差万別で、

各々に理想があったとしても、どれが正解、というものがない。

それは個々の人生にも言える事で、正解の分からぬままに進むわけだから、

人によってはそれを苦痛や不安に感じる事もあるだろう。

 

教科書通りの計算式とは違い、理想に近づけようとするあまり、

自分に負担を掛け過ぎてしまい、自重で潰れてしまうこともある。

努力をすること自体は間違いではないのだが、

理想通り「でなければならぬ」と思ってしまうと、間違いが始まる。

 

しばらく人生を生きてみると、次第に見えてくるのは、

「万能と思っていた親の無能さ」「大人のふがいなさ」であろう。

そしてその思いは、やがて自分へも向けられてくる。

大人だと、立派だと思っていたものに近づいてみると、

みんな努力をして体裁を保っていたり、見栄を張っているだけだったりする。

 

そんな大人たちが作り上げた組織の最小単位が、家族だ。

それぞれの思いが元になって一緒にいるとはいえ、

子供も含め、最終的には「自分とは異なる存在」だ。

それを「家族だから」という理由で必要以上にかばってしまうと、

自分への負担というものは、他人にしたそれと同等以上の負荷になってくる。

 

家族だから一緒に居なくてはいけない。

子供は親に従わなくてはいけない。

家族とのつながりを他より一段高く置いておく・・・

 

そんな「家族だから」という程度の理由では、人間関係は安定はしない。

なぜなら家族といえど一個の「人間」の集団であり、

人間は個々に異なる性質を持つ存在だからである。

異なる性質を持ちながらも共に在ろうとするのであれば、

「家族だから」という言葉はイイワケにしかならないのである。

 

家族だから一緒にいるのではなく、共に在りたいから家族である、

という気持ちが無ければ、いずれどこかでその家庭は崩壊するだろう。

家族だから仕方なく養ってやるとか、

家族だから仕方なく面倒を見てやるとか、

そういった感情が芽生えた時点で、人間関係の破綻は始まっているのである。

 

恩返しをしたいと思われるような大人になること。

昨今の人々からは、その思いが抜けてきているように思えてならない。

家族だから老後の面倒を見なければとか、

家族だからニートを養っていかねばならないとか、

「家族だから」というイイワケバリアを作る事で、

自分が優遇される状況を作り出してはいないだろうか?

 

老後の面倒を見てほしければ、そうされるだけの事をしてあげなければならない。

これまで自分がそういった事をしてこなかった人は、

いざという時は孤独死すらも想定して生きていかねばならない。

 

また、介護したりする側の人々も、「家族だから」と思ってはいけない。

ロクでもないヤツであれば、ぽんと放り出してしまえば良いのだ。

それを「家族だから」とニートさせたり放置したりするから、

結局自分たちが食いつぶされて、幸せな結末へは至れまい。

 

「家族だから」という言葉を捨て、相手を一人の人間として見る事で、

その相手に対する正しい評価、正しい対応は見えてくるはずだ。

それはもちろん、自分自身にも言える事である。

 

私は親族だからという理由で、姪や甥達に好かれたいとは思わない。

私という一人の人間として接し、彼女らを大切にし、真摯に向き合う事で、

一人の人間として、大人として、認知されたいと思っている。

 

だからこそ、自分の本心から「大好き」とも言えるし、

これまでの経歴でたった一度でも、彼女らを「嫌い」と言った事もないと、

自信を持って言えるし、また幸いなことに、彼女らもとても良い子に育っている。

今でも懐いてくれているのは、ひとえに、自分がこの「家族だから」という

理由に甘えず、一人の人間として接してきたからだと思っている。

 

結果、あの子達が将来、自分に対してどんな思いを持ってくれるかは分からない。

しかし、それがどんな形であれ受け入れる事が、自分の人生に対する責任だ。

願わくば、あの子らに子供ができた時、自分がされていた事を思い出して、

愛情をもって接する事の出来る大人になってくれれば、これ以上のことはない。

花粉症一年生に送る対策話まとめ

今週のお題「花粉」

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今週のお題に乗り損ねたようなので、

前回の話をまとめて持ってきてみる。

 

vumi.hatenablog.jp

vumi.hatenablog.jp

花粉症一年生に送る対策話(後編

お題「花粉症一年生へ」

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今年から花粉症になってしまった、

もしくは花粉症っぽいけど認めたくない貴方に贈る、

花粉症上級者からのアドバイスをまとめたいと思った今回のお題。

 

早速、前回の続きから、紹介していこうと思う。

もし、前回を見ていない方がいれば、是非、前編からご覧頂きたい。

 

 

3,出先:目薬は必携アイテム

 

外は目と鼻を焼くような見えない地獄の世界である。

更に季節風が強く吹き荒れ、目はガンガンに花粉を撃ち込まれてしまう。

そこで目を掻こうものなら、惨劇は止まらない。

手や衣服に付いた花粉が、目にゴシゴシと押し込まれるのだから――

夏の虫刺されが可愛く思える程の痛みが、貴方の目を襲うことだろう。

 

そこで常備しておきたいのが、目薬だ。

以前、花粉対策等を謳っていない目薬でも多少効果はあったのだが、

折角なので目のかゆみ、アレルギー対策と謳っているこちらを使っている。

 

jp.rohto.com

ちょっとでも「目がかゆい」と感じたら、掻く前にこれを使って欲しい。

ヒドイ時は、目の端をちょっとこすっただけでも後悔するのが花粉症だ。

目には触らず、目薬は常に手元に置いておくと良い。

 

 

4,帰宅時:衣服の花粉を落とす

 

花粉症患者の常識として、家に入る前に服を一通り叩いておく、というものがある。

衣服についた花粉を払い落とすのが目的だが、それにも限界がある。

しかし、家に入った瞬間から裸になるワケにもいかない・・・といった時に、

頼りになるのがこの商品だ。

 

www.myrepi.com

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上記のQ&Aによれば、ハウスダストを固めて衣服から落とす、という仕組みらしい。

玄関でこれを使い、全身の花粉やハウスダストにスプレーすることで、

家の中への花粉の侵入を抑制する事ができるというわけだ。

 

ただ、これは後にも書くが、あくまで「花粉を落とす」だけである。

落ちた花粉を掃除機などで除去する事で、初めて花粉の撃退は完了する。

花粉との戦いは、床掃除まで続く、という事を忘れてはいけない。

こまめな床掃除こそ、花粉症対策のキモと言えよう。

 

こういった時に、ロボット掃除機は大活躍する。

出掛ける前に仕掛けておけば、ほとんどの床を掃除をしてくれるからだ。

そして、この掃除の効率を上げる意味でも、次の項目は重要になる。

 

 

5,自宅にて:加湿して、ドラムを回せ

 

花粉やハウスダストが人に影響するのは、呼吸からである事が多い。

その為、空気中にヤツらが舞い散らせない為に、空気清浄機――

ではなく、加湿器が重要になる。

 

ハウスダスト対策として30cm以上の高さのベッドが推奨されるように、

ハウスダストは足元から舞い上がり、人の動きで空気中に広がっていく。

その動きを少しでも鈍らせるコツは、湿度を40-60%程度に保つ事だ。

また、湿度が高いと呼吸にも優しくなるので、ノドや鼻を労わる事ができる。

空気清浄機と併用する事で、更に高い効果を得ることができるだろう。

 

そして極めつけは、ドラム式洗濯乾燥機の導入である。

花粉の時期の外干しは、花粉が衣類に付着するだけでなく、

窓の開閉などでも室内に花粉を取り込む原因になってしまう。

多くの人が頭を悩ませるこの問題を、洗濯乾燥機は解決してくれる。

 

もちろん、衣類へのダメージ等を嫌う気持ちもあるだろうが、

そこは個人の判断に委ねたいと思う。

私の場合、干すという手間を減らし、洗濯から乾燥まで対応してくれる、

ドラム式洗濯乾燥機という存在からは、もう離れることはできない。

 

可能ならば、家に帰ったら即、風呂場に直行する事が望ましい。

大体、風呂場と生活空間は区切られているので、

花粉の侵入をそこで大幅にカットすることができるからだ。

 

仕事で疲れ果て、帰ってすぐベッドに横になるとくしゃみが止まらない・・・

花粉の時期がいつの間にか迫っている時、こんな事があったりする。

マクラカバーという聖域を、花粉まみれにしているのだ。

こういう時は、ベッド全体に花粉除去スプレーを使い、

一旦、風呂で体を洗い清めてからでないと、とても眠れたものではない。

 

以上が、私が主に行っている花粉との戦い方である。

最近では花粉症の治療というものもあり、

花粉の時期になっても症状が出にくくなるという。

これも一度やってみたいものだが、毎度忘れて一年が過ぎてしまう。

 

特に、花粉症一年生の方々には、治療など考えもしなかったことだろう。

もし、これから花粉症と付き合わなければならない、という方がいれば、

今回の記事を参考にしつつ、治療や対処を検討してもらえればと思う。

花粉症一年生に送る対策話(前編

お題「花粉症一年生へ」

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今年から花粉症になってしまった、

もしくは花粉症っぽいけど認めたくない貴方に贈る、

花粉症上級者からのアドバイスをまとめたいと思った今回のお題。

 

私は子供の頃から鼻詰まり気味で、口を塞がれただけで窒息するという有様だった。

やがてそれがハウスダストほぼ一年中の花粉症によるものと判明してから、

既に四半世紀以上を生きているので、花粉症上級者であると自負している。

 

とはいえ、医者に通う程のエリートでも無いので、

病院を使わない花粉症対策についてをまとめてみようと思い立った。

効果には個人差もあるだろうし、アレルギーは体質の問題なので、

効かなければ大人しく専門医に相談する事をオススメする。

 

 

1,家を出る前:花粉ブロックスプレー

2,家を出る前:BFE99%記載のあるマスク

3,出先:目薬は必携アイテム

4,帰宅時:衣服の花粉を落とす

5,自宅にて:加湿して、ドラムを回せ

 

 

 

1,家を出る前:花粉ブロックスプレー

 

家を出る前から戦いは始まっている。

というのも、花粉は日中帯にずっと飛び交っているので、

家を一歩出たその瞬間から、花粉を吸いこみまくってしまうからだ。

昨今の事情で皆マスクを常備しているが、やはり吸い込む事は防げない。

そこで、家を出る前に使いたいのがコレだ。

 

fumakilla.jp

 

元々はコロナ対策として「IHADA」と共に購入していたのだが、

コロナ対策としては効き目がイマイチ分からなかったので、

玄関にずっと放置されていたものだった。

ある時ふと、花粉対策にも使えると思い出して使ってみた所、

明らかに症状が軽くなったのだ。

 

自分はバイクで移動する事が多いのだが、そのまま運転していると、

乗り始めてすぐにノドがいがらっぽくなり、それが一晩中続くこともあった。

しかし、これをやってから出かけた時には、ノドのいがらっぽさも弱く、

それほど苦にならなかったという事がある。

 

もちろん、花粉の飛散量にもよるのだろうが、

個人的には効果アリとハッキリ感じる事が出来たので、

家を出る前と、職場から出る前などに使う事にしている。

 

 

 

2,家を出る前:BFE99%記載のあるマスク

 

花粉というのは、ごく小さいものである。

それを完全に防ぐのは難しいが、吸い込む量を減らす事ができれば、

体への影響を少なくすることもできるはずだ。

 

コロナ以降、マスクの質の問題も度々話題に上がっているので、

知っている方も多いかとは思うが、マスクにも性能基準が存在している。

ここでは分かりやすく、大雑把に分類を説明していく。

()内は、それぞれの大きさを表している。

 

・PFE:ウイルスを防ぐ性能(小)

・VEF:ウイルス飛沫を防ぐ性能(小~大)

・BFE:花粉を防ぐ性能(中)

 

こちらの記載には試験が存在し、それを通過した商品には、

大体パッケージに「BFE:99%」等の表記がされている。

表記の信頼性は正直よく分からないが、少なくとも参考にはなるので、

例えば下記のような商品を、私は選ばないようにしている。

 

www.amazon.co.jp

また、パッケージにでかでかと「99%遮断」とか記載があるのに、

どこにもBFEやPFEといった記載がない物は、

根拠の乏しい商品の可能性があるので、これも選ばないようにしている。

花粉対策、飛沫感染の予防という観点からも、

BFE,PFE99%カットのマスクを選択する事は、悪い事ではないはずだ。

 

 

さて、思わず長くなってしまったので、今回はここまでとしよう。

次回は後編として、残りを紹介していくつもりだ。

以前のベストバイみたいに長くならないよう、気を付けなければ・・・

マイお題:「在宅勤務でしている工夫」

お題「在宅勤務でしている工夫」

 今回のお題は、 みるまる (id:wmdtjapg0120)さんからお借りしました。

有り難う御座います。

 

コロナによって重い腰を蹴っ飛ばされた人々が、今、在宅勤務や、

リモートワークといった「新しい働き方」を実践している。

自分の周りでも在宅勤務に対する意見は賛否両論といった所で、

ずっと在宅でやりたいという人もいれば、

仕事を家に持ち込みたくないから絶対に出勤、という人もいる。

 

私は仕事柄、現地でないと対応できない状況も多いが、

基本的には「在宅勤務超推し」である。

「独り身」「個人事業主」「基本一人対応」と、チームワークが不要な環境でもあり、

加えて「趣味が仕事」「気分屋」なので、常にストレスの少ない自宅にいる事で、

精神的、体調的に健康を保ちやすい、というメリットを最大限享受できるからだ。

 

 

一般的なサラリーマンが働きやすく、在宅で働くための方法というのを、

自分の環境の中からいくつか抜粋してみようと思う。

仕事と言っても千差万別で、ひたすらキーボードを叩く仕事もあれば、

ひたすら電話をかけまくっているものもあるだろう。

そのいずれの場合でもなるだけ有効そうな物を考えてみた。

 

1,空調の最適化

空調環境というのは、仕事のコンディションに大きく影響してくる。

温度、湿度は当然として、香りや明るさ等も個々人の性格に応じて大きく変わる。

私の場合、エアコン,加湿器,加湿器,空気清浄機が全て同室にある。

これに加え、強い光も得意ではないため、カーテンは全て遮光一級の黒、

臭い対策に、無香空間の置き型とスプレー型を常備している。

 

夏場、冬場は電気代だけで2万円近く行く事もあるが、これも一つの投資だ。

快適な環境での生活は、生活内でのストレスを軽減する事ができる。

暑さや寒さは服装や諸々の対策グッズで対処すればいい、という意見もあるだろうが、

それをしないのは、ひとえに「面倒事を減らす」目的があるからだ。

 

服装を考えたり、体に何かを掛ける等していると、あらゆる動きが妨げられてしまう。

その時間がもったいないのだ。

 

小さなストレスも、積み重なれば大きな障害になるように、

スイッチひとつで問題を解決できるのであれば、それを使わない理由は無い。

加えて、強い香りや光を極力抑える事で、周囲からの刺激を減らし、

そちらに意識を向けなくて良い分、目の前の作業に集中できるというものだ。

 

 

 

2,環境音の遮断

上では空調について書いたが、これに加えて「音」も課題の一つだ。

家にいると仕事とは無関係な音が多く飛び込んでくる。

子供が公園で遊んでいる声、車の音、家族が見ているテレビ等、

音の発生は昼夜を問わないものだ。

 

そういった音の対策に良いのが、ノイズキャンセルヘッドフォンだ。

(以下、NCヘッドフォンと記載)

最近は安い物でもそれなりの性能を持っていて、これがあるとないでは段違いだ。

オンライン会議等をしている場合は、イヤホンマイクを使用し、

その上からNCヘッドフォンを使用するのが良い。

 

特に、文字を書いている時は、外から別の声や音が入ってくると、

それに引きずられて自分の書いているものが分からなくなる事がある。

周囲が静かになるだけで、作業への没入感はかなり深まるだろう。

以前紹介したNCヘッドフォンは、長時間使用しても疲れにくい為、

オススメとして載せておきたい。

vumi.hatenablog.jp

 

3,ネット環境の充実

自宅にパソコンが無いという人でも、スマホの為にネットを引いている、

という場合が多くなっている。

しかし、このネット環境がイマイチだと、これも効率の低下につながってくる。

 

基本的には光回線という名目の物ならなんでも良いのだが、

少し前に流行った「無制限Wi-Fi」やケーブルテレビなど、

速度の遅い回線を使用していると、ちょっとした調べ物にも時間がかかってしまう。

今や、ネットは巨大な辞書のような役割もあるので、

この辞書を引くのにいちいち動作が遅くては、話にならないのだ。

 

これは住宅環境によって変更できない場合もあるので、

改善のしようが無いという可能性もあるが、

「実は光回線が使えた」「大家さんに相談したらOKが出た」など、

実際に調べてみると光回線が使えるという可能性もあるので、

今の環境を考える際は、是非一度、見直してもらいたい。

 

また、少し話は変わってくるが、使用するパソコンにも同様の事が言える。

使用頻度が低いからとか、自分はパソコンが苦手だからと、

わざわざ安い、スペックの低いモノを使う人があるが、

これは大きな間違いである。

 

考えてもみてほしい。

周りが自転車で走っている環境で、貴方のペダルを回す速度が遅いとしよう。

遅いからといってママチャリに乗っていては、その差は開くばかりだ。

こんな時の正しい対処法は何か?

電動自転車に乗るとか、バイクに乗り換えればいいのである。

能力が低いなら、性能の良い武器を使う。

それを心掛けるだけで、仕事効率は良くなるだろう。

 

 

4,疲れたら休む

在宅勤務の最大のメリットは、ここにある。

仕事とは、椅子の前に座っている事ではない。

実績を上げる事が仕事である。

 

職場では、疲れたからといって横になる事はできない。

職場では、そこに入ってから出るまで、社会人としての姿勢でいる事を求められる。

それは疲れていようが落ち込んでいようが変わりない。

つまり、効率が落ちている状態でも「仕事中」の維持を求められるわけだ。

 

しかし、人は機械よりも繊細な存在だ。

失敗したり落ち込んだりで、その性能を出し切れない時が必ずある。

そんな時、職場ではせいぜいトイレか喫煙室に籠るのが精一杯だろう。

結局、「職場」という檻の中で休んでいるに過ぎない。

 

しかし、在宅であれば「自宅」という自分用の環境がある。

自分を休める為の環境がすぐ傍にあるのだから、これ程好都合な話も無い。

同じ5分休むでも、職場の椅子と自宅のベッドでは大きな違いになる。

もちろん、この為にベッド周りの環境を良くしておく事は言うまでもない。

効率良く休む事で、仕事への向き直り方も変わってくるだろう。

 

 

以上4つが、すぐにでも実践できそうな環境改善の手法だ。

在宅勤務にはもうひとつ、難敵である「孤独感」というものがあるが、

残念ながら私は、これを解消する手段という物を知らない。

一言も発さずに一日を終えるという事に、苦痛を覚えない性質なのだ。

つまるところ、わざわざ解消するという考えに至ったことが無いのである。

 

 

申し訳ないが、この点の解決方法は他を当たってほしい。

孤独を「自由」と言い換えられるようなれると、呼吸も楽になると思うのだが――

この点については、またいずれ、別の機会に語るとしよう。